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しおりのプロフィール
●本名;岡本 志緒里
●性別;男性
●年齢;40歳
●職業;クルマのお医者さん

●ボランティア;ボーイスカウトとカブスカウトの活動、いそがしいw が、、たのしいじょぉ〜^^;
●趣味&特技;ラジコン、バイク、クルマ、PC、写真、射撃、弓道、刀剣鑑賞、アーチェリー、キャンプ、アウトドア、スキー、釣り、ボート、盆栽、自家栽培、自家燻製、自家醸造、自家鍛造、備前焼収集、ほかにもまだあったよ〜な、、。
●宗教;仏教、なぜか僧階もってたりするw




幼少の頃から機械モノに興味があったのだが、特に10歳頃のクルマ、バイク、エンジンの構造に対する執着は異常だったかもしれない。
ベビーカーの部品を流用した自作のカートや、ラジコンのエンジン、12歳頃は飛行機にハマっていた。

感受性の高い14歳の頃から本格的なガンマニアとなる。モデルガンの収集がキッカケとなり思春期の反抗期も重なったせいだろうが、
当時、銃器に対して理解のできない教育者や、盲目的に反戦のみ主張する日本社会の実情に異常なまでに反発、父親と祖父のみが唯一の理解者であった。

多少前後するが、祖父の他界を体験。『死』について直視する現実から、人間の一生についてや精神世界のことも模索する。

同時期に『玩具(虚栄)と本物(正真)』についても、限りなく探求することになる、軍装品の収集を始めたのもその時期からであった。
まがい物でない道具への探求心と機械モノへの興味から、工業高校へと進学。

機械科目7教科には異常な執念で3年間打ち込んだのだが、普通教科はハナからやる気なし、、。
射撃部がなかったので仕方なく弓道部に在籍、段・級の審査にはまったく興味なし、ただ的中させることだけに没頭。
的中できない先輩をコケにし、段・級にこだわる正統派の後輩をまどわせた罪は今だに許されるものではない。
市内、県内、地区、となぜか連勝。(当たるんだから当然か)最後はインターハイまで行ってしまったもんだから、だれもモンク言えなくなった。(爆)

念願の陸上自衛隊、陸曹候補生に志願、すべては順調に進んでいたかに見えた。
進路指導課の教師(運が悪いことに在籍していた精密機械化の担任だった)から執拗に民間企業への就職を斡旋された。
殺し文句は、『オマエの後輩たちの未来の就職もかかっているんだぞ』であった、、しかたあるまい、彼らの未来もあるのか、、と志願を断念。
工業科目、部活動、いづれもトップだったのが災いしたのである。その結果、銃器に対する執着と日本社会に対する失望だけが残ったのである。

約2年の社会人生活を経験する間、何人もの同級生が死んでいった。
それは私が住んでいた地区が工業地帯で、ほとんどの家族が工場勤務の核家族だったことに由来する。
70年代の浜田省吾の曲ではないが、皆幼少のころから、地元の工場地帯で働くことが暗黙の内にゴールと定められていた節がある。

スレートの壁に滲んでいる錆と同じ色をした夕日が、コンビナートの毒々しいケムリに沈んでいく様子は、いま思い出しても悪寒を憶えるものだ。
私を含め、同級生たちは工場の歯車になりたくはなかった。仕事が終わると同時に若いエネルギーの発散場所をバイクで峠を攻めることに費やした。
中には彼女となんとか、、ってのもいたんだけど、大多数がそんなことでは心が癒される状況にはいなかったのである。
悲劇の連続は必然的に起こっていった。

私には、ビジョンがあった、渡米である。
それはかつて14歳で立志した頃から、憧れのごとく抱いていた夢でもある。
反社会的に思春期を過ごしたものの、私が安直にグレてチンピラの類と同じにされてしまったのでは、何の意味もない。
そして、あの進路課の教師に対する挑戦もあったかもしれない。
銃器に興味を抱いて以来、私が最終的な目的としていた選択技である。
国内では、不覚にも軍隊経験を逃してしまった。が、、まだ最後のチャンスはある、そう考えていた。

渡米の目的は、純粋でくもりの一点もなかった。
実銃の精度、破壊力を実体験として得ること、ただ撃ってみたいだけではない。
Toolとしての銃器の性能を自らの射撃技術で引き出せるスキルを得ること。
精度を追求するリロード(再装薬)の技術もあわせて身につけたかった。
もはや贋物の玩具で私の探究心をごまかすことはできなくなっていた。

ショットガン(散弾銃)の所持ならば、民間人でも国内で可能であった、地区によればライフルの所持やリロードも可能ではある。
しかし、あまりにも制約が多すぎることや、拳銃にいたってはオリンピック選手にでも選出されねばほとんど不可能である。
そして、警察関係か自衛隊体育学校の人脈がなければ、選手となることは事実上不可能なのである。
幸運に選手となったところで、所持できるのが.22LR 程度である、リロードなんてありえない、、。

銃器の精度の観点から、今になっておもえばエアーピストルやエアーライフル(国体の競技でもあったと記憶している)でも、
充分実銃の射撃精度を保っていてすばらしいのだが、当時の私にはその真意が理解できるような心境ではなかった、まだ若すぎたのである。

アメリカ在住の銃器関係の雑誌レポーターに、ワラおもすがる想いで連絡をとった。
すでに諦めかけていた頃に、連絡があった。

きっぱりと会社を辞め、軍装品のバックパック、手持ちの2300ドル、穴の開いたジーンズで機上の人となった。

続きのプロフィールは、いづれアップします。

現在カリフォルニア州サンフランシスコ近郊在住、1987年渡米。




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